サルワーティオ旧修道院



 俺は、お前の近くに寄りすぎたんだと思う。
 そう言ったときのシャマルの顔は、なんとも言い難い驚いたような失望したような表情であったけれど、「わかった」とだけ呟くとそっと距離を置いてくれた。
 時間が変わってしまった俺とお前との物理的な距離感。それが、何よりも必要だった。


 「俺と依頼だなんて珍しいな…」
 「たまにゃいいだろ」
 ふむ、と少し首を傾げていたレイヴンは、俺に何も答える気がないと悟ると、依頼人との待ち合わせ場所兼現場である修道院の方へ足を向けた。
 今夜俺たちが受けた依頼は「旧修道院の調査依頼」。なんのことはない、民俗学に興味がある陰気な依頼人からの提示だった。単純な廃墟の捜査だろうとタカをくくっていたのだが、武器の所有禁止やら何やらのルールを向こうが課してきたせいで、随分と面倒くさい感じがした。
 (ま、こっちにはレイヴンがいるしな)
 杖を没収されたところで魔法が使えなくなるわけでもないし、レイヴンに至っては腐っても魔族だ。彼1人で戦っても、廃墟にいるであろう死霊やら何やらには十二分に対処できる。しかも、依頼人の気にしている損壊を発生させずに、だ。
 さく、と足元の草を踏んで少し高くなっている道を登れば、あのメガネの依頼人が立っていた。

 「待っていましたよ」
 「待たせて悪りぃ。さっさと依頼を始めさせてもらう」
 そう言って、持っていた杖とナイフを彼に預ける。盗まれたりすはことは、この際考えないようにすることにした。実際、この2点を売ったところで大した価値のあるものでもないし、そんなことをわざわざする男にも見えなかった。
 「貴方は?」
 「…ない」
 ふるふると首を振ったレイヴンに「そうですか」とうなづくと、依頼人は俺の武器一式を丁寧にしまいこんで、代わりに棒状のものを取り出した。
 サイズは剣の柄より少し太い程度。先端にはガラス球が取り付けられており、中には鉱石がはめ込まれている。
 「それは、灯です」
 これはなんだと俺が問う前に、依頼人はピッと指を天に上げて自慢げに話し始めた。
 「魔法技術やら何やらを応用させたものでして。そのスイッチを押せば灯がつきます。蝋燭の炎とは違い、狭い範囲を遠くまで照らせる仕様ですね」
 …ふーん。そんな面白いものをこの依頼人が持っていただなんて、ただの気味の悪い男ではないようだった。
 「あ、あと。それだけでは心細いでしょうから」
 そしてまた己の懐を探る依頼人。彼が取り出したのは。

 「…ふざけてる」
 「まぁ怒るなレイヴン。危なかったら好きなように使えばいい」
 あの後依頼人が取り出したのは、一丁の古代兵器…銃であった。弾は三発だの、狙いを定めてトリガーを引くだの、ほとんど見せびらかしのように語っていたが、彼が俺たちにこれを渡した理由は一つだった。
 「死にたくなったら自殺してください」
 …あのメガネは、なんの躊躇いも気遣いもなくこんなことを言ってきたのだ。
 唖然とした俺たちが次の言葉を発する前に、依頼人は手をひらひらと振ってこの場から去ってしまった。残されたのは手元の灯と、銃だけ。
 この銃を、あの依頼人が言っていたように自殺に使うつもりなど毛頭ない。ただ、その殺傷能力と破壊力だけは確かなので、何かが出たときの最終手段として俺が持つことになった。
 「…嫌な雰囲気…かえりたい」
 「ふだん死霊行使してる魔族が何言ってんだよ。おら、入るぞ」
 「死霊…怖くない…」
 嫌がるレイヴンの手を無理やり引いて、軋む扉のその先の階段を降りていく。下の小部屋は比較的明るく、灯をつけずともあたりが見回せた。
 なんでここだけ明るいかとかそんな疑問があったが、恐らくは魔法か何かなのだろう。
 「ん?」
 部屋の片隅に何かを見つけ、それを拾い上げる。そいつは手のひらに収まるほどの石板で、一つの模様のようなものが彫ってあった。
 「は、なんだこの【無い】 …え?」
 俺は咄嗟のことに首をかしげる。レイヴンもひょっこりと肩から顔をのぞかせ、俺と同じような顔をした。
 石板に描かれていたのは見たこともない模様。しかしそれを見ていると、リンゴをリンゴだと認識できるように、その模様が示す意味を認識できたのだ。
 「レイヴン。これ、わかるな?」
 「【無い】…だと思う」
 …世の中にはバベルの塔の伝説もあるが、あらゆる生物に共通する文字というものは稀に存在するらしい。これの謎は置いておいて、一つの調査結果として石板をしまい込んだ。
 「アルマ、それ」
 「まずは調査を終えてからだ。いくぞ」
 本当に行くのか、といいたげなレイヴンの背中をつつきながら、小部屋の扉を開けた。

 まずはじめの感想は「暗い」。
 とにかく光の一つもない。これではまともに調査すらできないだろう。俺は手元の灯のスイッチを入れると、パッと光をつけた。
 「おー見える見える。すげーな、これ」
 「でも、暗い」
 それでも照らされるのはごく一部の部分のみで、全体が明るくなったわけでない。人間の目の俺ではうまく見渡すことは不可能だった。
 こんなとき、シャマルがいてくれれば。この光だけで全てを見通すことができるのに。
 ……そんな考えに一瞬でも至った俺は、本当にバカだ。
 「アルマ、右に」
 「あ?右になんかあんのか?」
 レイヴンがちょいちょいと俺の裾を引っ張るので、何かと思い光の輪を左端から右にずらした。光に照らされ目を凝らす必要もなく、浮かび上がったそこにいたのは。

化け物だった。

 

 「っーーー!!」
 「おい!んだアレ?!」
 「アル、うぁああああ!!!」
 目があったそいつはこちらを見てニヤリと笑ったきがした。ぶらぶらと引きずる手を振り回しながら、足音を。
 レイヴンが叫んでいる。目があった。
 目が三つある。
 のっぺりとした肉に。石みたいな目が。
 何か口が動いた。喋っている。
 気持ち悪い。なんだアレは。
 「レイヴンーーー!!!」
 わからない。
 レイヴンの手は取れなかった。
 俺はただ走り出していた。

 

 「はぁっ、はぁっ…っ!!」
 カラカラに乾燥した喉を通過する唾が痛い。足を震わせながら、俺はしゃがみこんだ。
 いまさっきのアレは。いや、そうじゃない。レイヴンは、レイヴンはどこへ行った?
 「…おちた。」
 呼吸と心拍数が落ち着く前に、俺の口は解を導き出していた。
 レイヴンが叫ぶ前に、ミシミシと木が割れる音がしたような気がした。となると、恐らくは床板の破損により落ちたのだろう。
 しかし、なぜ?
 落ちたのならば、レイヴンはすぐに飛んで復帰するだろう。それがないということは、大怪我をした可能性もある。
 「……」
 帰ってから体勢を立て直すという考えも思い浮かんだが、怪我をしているであろうレイヴンをこの暗闇に放置するわけにはいかなかった。
 優先事項はレイヴンの保護。するべきことはただ一つ。
 「よし」
 俺は立ち上がって、暗闇に続く扉のノブへ手をかけた。灯はしっかりと握っている。


 この修道院でわかったこと。
 だいたい皆死んでいる。安らかに眠っては無い。
 そして妖魔でも動物でもない怪物があちらこちらを徘徊していること。冗談じゃない。
 最後に、どの扉にも鍵がかかっていること。
 「う……」
 がくりと膝をついて壁にもたれかかった。今は…どのくらいまで地下に潜ったのだろうか。それすらわからない程度に俺は疲弊していた。
 体の方は、何度か走ったりはしたがそれほど辛くはない。これでも冒険者をやっているのだ、魔術師に追いかけられたり落石から逃げたりしている。この程度ならば、なんでもない。
 それより、身体とはまた別の部位に”軋み”が生じている。
 人間という生き物は、長時間暗闇に居座ったり、1人きりの空間にいると、精神面が先にダメになるらしい。それを聞いた時には根拠のなさに笑い飛ばしたが。
 「…くそ、しっかりしろ俺…」
 この暗闇に放置されて何時間が経過したのだろう。耳鳴りや吐き気に襲われながら、逃げ回ったのだろう。
 俺の中には迷いが出てきた。
 この銃を『使ってしまえば』楽になる。あるいは、レイヴンを見捨ててしまえば楽になる。前に進む以外の選択肢が頭の中でちらちらと点滅する。
 …わかっている。今の俺の精神状態が通常のものではないのだと。さっきから聴こえる歌が、脳神経を揺らすようで気分が悪い。

 レイヴン。レイヴンだ。やっとあえた。
 俺をひとりにするなんてひどい奴だ。寂しかった、怖かった。俺の名前を呼んでくれ、もうきがおかしくなりそうだ。レイヴン、レイヴン。シャマルに会いたい、今はお前の傍に居たいよ。
 もう一人になんてならないから、恐怖を抱いた俺を許してくれ。
 「……ちがう」
 そっと握りしめた手を見る。俺の手は、嫌な汗で手袋の中がじっとりと湿っていた。そして俺の手の中にあるこの手はシャマルの手じゃない。
 「レイヴン…」
 そろそろと視線をあげれば、ぼんやりとしたレイヴンの金色の眼と眼が合った。ああ、とその時初めて俺は理解した。
 ここまでほとんど無我夢中に降りていたが、どうやらレイヴンと再会できたらしい。
 ならばこんな場所に長居は不要、ぼさっとしている仲間の手を引いて上へ戻ろうとしたが、ふと足を踏みとどまらせた。そういえば、扉は開かなかった気がする。
 「……」
 少し逡巡する。
 このまま上へ戻るか、最下層まで行くか。
 前者は扉をこじ開けることになるが、二人ならば可能性は十分にある。後者は依頼達成にはなるが、命の保証はない。両者のリスクを考えていた俺の袖を、レイヴンが軽く引っ張った。
 「下、行こう」
 「……ああ」


 負けた。
 俺はここで死ぬのだろうか。
 目の前にいるそいつは、影になった腕をゆらゆらと伸ばしてこちらを調べるようにしている。
 隣にはレイヴンが倒れているが、あいつも冒険者だ。すぐにでも起き上がってこいつから逃げればいい。俺が無様に食われているうちに。
 冒険者として何度も死を覚悟したことがあったが、まさかこんな最期を迎えるなんて、笑える話だった。
 俺の大嫌いな宗教施設の上で、わけのわからんものに殺されるなんて。力の入らない手足を投げ出して、ロクに空気の入らない肺をひきつらせた。
 何本もの腕がこちらに伸び、頬や頭を撫でていく。食う獲物の可食部でも調べているのだろうか、口と呼べる器官も持っていない癖に。
 「う、ぐ…!?」
 ぞぶり、と腹に腕が突き立てられる。こうも人間の皮膚を簡単に突き破ってくるなんて、相変わらず訳が分からない。すでに飽和状態だった苦痛は認知の範囲を超えて、異物の侵入に身体が痙攣した。
 殺してくれ、とっとと早く。
 「っ、はぁ゛あ゛!!」
 内臓がかき回されるような激痛にごぼりと鉄臭いものが口の端から垂れて、耳のすぐそばを通過していった。
 殺せ、殺してくれ。
 「…ヒッ、ア゛アぁ゛!!!」
 叫んだ。
 
 これは、俺を殺すための一手じゃない。

 こんな悍ましいものを、嫌だ。
 死んだ方がましだ。まだナイフを喉に突き立てる余力はある。
 だがそうとなれば隣レイヴンは?俺が死ねばあいつが代わりになるだけじゃないのか?
 それでいいのか?
 「い゛ッ、ギ、ぅ゛…!」
 わからない。わからない。
 俺はどうすればいい?死ねばいい?それともこれを受け入れろと?打開策が見つからない、解が導き出せない。八方ふさがりだ。


 ……俺とシャマルは生まれたときから一緒だった。
 泣くときも、笑う時も。似てないとよく言われたけれど、俺たちは魂のどこかで繋がっている気がした。
 それが、シャマルと俺で時間が変わってしまった。簡単なことだ、吸血鬼と人間では生きる時間が違う。
 その事にふと気が付いたのだ。いつか容易に訪れる別れに。
 だから、あいつとの物理的な距離が欲しかった。精神的にも肉体的にもバラバラになってしまう、その事前練習に。

 もし、これを受け入れて。またあいつと同じ時間になれるのなら。
 それは、もしかしたら、幸せなことなのかもしれない。


 「あ――――」
 ずっと仕舞い込んでいた何かが、目から溢れた気がした。

エンド3 還りついた場所


このPTの結末は決めてるんですが、自PTである以上好き勝手やっていい&対応してたらそれ見たいので適当にプレイしたらエンドCになりました!やったね。

大丈夫だ、いまのところ対応は見たことないので対応上は人間だ。