クローとレイヴンが森の調査に出ていたころ、シャマルとさくら、リリィは下手人であった男の話を聞きに来ていた。
あの後捕らえられた男はひどく衰弱しており、今は拘束されずに宿の一室で寝かされている。つい先ほど目を覚ましてまともに会話ができるようになったと、見張りをしていたさくらから連絡があったので、こうして三人で話を聞くことになったのだ。
一番端の、しばらくは使われていないであろう部屋の湿度は高い。おまけに日の傾きのせいか、昼間だというのに異様に暗く感じる。部屋の構造はいたくシンプルで、男が寝かされているベッドとその隣にある小さな木製の椅子、そして扉と窓しかなかった。
少し嫌な空気だな、と思いながらリリィは男を改めて観察した。
あの暗闇の戦闘では顔つき等はよく見えなかったのだが、こうして落ち着いてみればごく普通の人間だ。稀にいるような恐ろしい赤い目をした化け物や、耳や鼻が尖った妖魔とは程遠い、街中を歩いてそうな顔。外見ですべてを判断をするのは褒められたものではないが、リリィの今までの経験からすると、この人物はあまりにも。
「無害そうに見えますね」
「……」
思わずリリィがこぼした本音に、シャマルは眉をひそめた。……不用心な仲間への呆れや苛立ちではない。そう、シャマルも全く同じことを考えていたからだ。
念のために扉の方へリリィを、窓の方へはさくらを立たせ、武器を所持したままで男の近くの椅子に座る。警戒心を張り詰めさせていることを隠そうとはせず、低い声で話しかけた。
「……少し、話を聞こう」
「……あんた、は」
酷くしゃがれた声と共に、虚空を見ていた男の目がぎょろりと動く。まるで、先ほどからいた三人の存在にやっと今気づいたかのように。
「誰だ……」
「冒険者だ。昨夜、お前が交戦した」
「こうせん……?ああ、俺は、戦ったのか」
「覚えていないのか?」
要領を得ない男の言い方に、シャマルの声が鋭くなった。
やはり嫌な時間だ、とリリィは扉の前に立ちながら思う。こういった『仕事』は、たいていアルマがやっているのだが、彼が不在の時はシャマルやさくらがやることもある。いつもは優しい彼らが、聞いたこともないような厳しい声で、冷たい言葉を吐く。
やっていることはきっと仲間の為だったり、依頼の為だったりと、悪い事ではないはずなのに、無関係な自分までもが責められているような感覚がして、息が詰まる。
―――他の仲間は、どうなのだろうか。こんな時間が終わった後に、すぐいつものように話しかけられるのだろうか。
「……いや、覚えている……ゴホッ!」
男がむせこむ音で、思考の底からリリィの意識が引き上げられた。一瞬緊急事態かと身構えたが、どうやら何も起きていないようだ。
「覚えているのか。どこまで?」
苦しそうに肩で息をする男に、シャマルは心配するそぶりすら見せることもなく続けて質問した。決して声を荒げてはいないが、いつもは針のように細い瞳孔が少しだけ丸みを帯びている。
「覚えては、いる……けど、俺が、やったのか?」
「……」
しんと静まり返った部屋、さくらがため息をつく音だけが部屋に響いた。そして、窓の外からする誰かの遠い声も。
目だけを動かして何か悩んでいる様子の彼に、シャマルは少し身を乗り出す。武器を携帯していることを見せるため、といってあえていつものマントを脱いでいるので、衣擦れの他に、銃や刀を固定している金具がカチリと鳴った。
「ずっと、何か……遠い感じがして……あんたらを襲ったのは、知ってる……」
「遠い感じ、というと」
「夢みたいな……状況は理解してて、でも俺は俺じゃなくて―――」
饒舌になったのもつかの間、また重い咳をしたため、話は遮られてしまった。よく見れば、口元を抑えた手には赤いものがついている。咄嗟に駆け寄ろうとしたリリィを、シャマルが手で遮って止めた。
手を出すな、という意味。―――敵には情をかけるな、努めて冷静になれ。
(わかっては、いますが……)
もちろん、早く事情を徴収して相手の記憶が鮮明なうちに話を聞きだしたり、これ以上体調を悪化させないという意味もあるだろうが、やはりリリィは好きではなかった。かといってここで何か言い争うことはしたくない為、すごすごとまた扉の前に戻る。
進展があまりよくない状況に、ナイフをくるくると片手で弄んでいたさくらがふいとベッドの方に体を向けた。
「じゃ、おじさんさ。なんでこんなことしたのか自分でもわかる?」
「……なんで―――それは、」
男は目をつむった。記憶の中から、理由を引き出しているようだった。時間にして数秒にも満たなかったが、リリィにとっては非常に長い沈黙だった。
そして、男が目を開けて言ったのは。
「100人殺すためだ」
男の容体が悪化したので、シャマルとリリィは一度部屋を出て、宿の一階のテーブルに向かい合って座っていた。さくらだけが部屋に残り、一応の監視を続けている。まぁ、あの調子では逃亡はおろか、起き上がるのも辛そうではあったが。
「う~ん、1000人って……そもそもこの村にそんな人数いませんし」
「そこが問題か。なんというかなぁ、ただの辻斬りとは違う感じだったよな」
「そうですね、本人の記憶も曖昧そうでしたし……」
二人で揃ってごく短い間に得られた情報をなんやかんやと話し合ってまとめる。が、未だに犯人の目的はわからない。その本人は、いま正に部屋の中にいるというのに。
この男はもしかしたらアルマの失踪とは関係がないのかもしれない、ということも可能性の視野に入れつつ、シャマルは頭を悩ませた。ここまで何も得られないと、次にどの手を打つべきかもわからなくなる。
普段はアルマが策を練ってくれるのだが、それの難しさというものを改めて実感した。
「おーい」
少し沈み込んでいる三人のもとに、宿の軽快なドアベルと共にレイヴンとクローが帰ってきた。レイヴンの方はすこし笑顔を浮かべているので、彼らなりに何か収穫があったのだろう。
「おかえり、収穫は?」
「あった。……そっちは?」
「あんまりですねぇ」
「そうか……」
犯人に会っておくか?とシャマルは二階へ続く階段を指せば、レイヴンはうんと頷いた。魔力的な感知ができるレイヴンならば、呪いや魔術の面からの情報が拾えるかもしれない。
「……体調の方は辛そうだね。あんまり長い事話せないかも」
「構わない。レイヴン、ちょっと調べてくれ」
男が寝かされている部屋にシャマルとレイヴンが入り、レイヴンがそっと男に手を翳した。これが魔力感知、という魔術師特有の感知方法らしい。レイヴンは魔族であるので、魔力感知は特に得意だった。
が、レイヴンはしばらくしても何も言わない。時折、首を傾げているだけだ。
「レイヴン?」
「あ、いや。……ない」
「ない?」
唇を尖らせて不服そうな顔をするレイヴンに、シャマルは思わず聞き返す。レイヴンは「ない」とまた繰り返した。
「こいつ……魔力、ない」
「ないって」
「おかしい……生きてるならば、魔力がある……取られた?うーん」
シャマルは思わず肩を落とした。魔力感知ができないということは、すなわち残されていた『糸』を失ったというわけではないか。
「レイヴン、ありがとう……じゃ、ここで」
「待ってくれ……なぁ、剣の行方を知らないか?」
「剣?」
きょとん、とシャマルが目を丸くする。そういえば、この男は剣を持っていた。ただの武器で、戦闘の時にどこかへ飛んで行ってしまったのかと思ったのだが、確かに見ていない。
レイヴンは何度か男の肩をゆすって目を覚まさせると、また問いただした。
「剣。どこにやった」
「け、ん……?」
シャマルたちが尋問した時より遥かに悪い顔色になった男は、土気色になった唇を動かした。明らかに生気がない。まるで、徘徊する死者のようだ。
「剣、なんてものは……もってない」
「嘘つけ、持ってた。俺のことを切ったのに」
レイヴンがほれ見ろ、と言わんばかりに翼を動かす。そう、彼は確かにあの剣で切られて怪我を負ったのだ。この傷は鋭利な刃物がなければできない傷跡だ。
「持っていない……俺が持ってたのは、剣じゃ……ゴホッ!ゲホッ!」
また激しく男が痙攣する。服の裾から除く腕の色が腐った肉のような色になっているのが、ふと見えた。
(なんだこれ……)
この男は人間だ。聖職者であり吸血鬼であるシャマルが、人間の気配と匂いを感じ取っている。だが、その肌の変容はゾンビやグールを連想させるようなものだった。
「シャマルさん、なんだかマズそう」
「……ああ、これは……」
そろそろ医者を呼ぶべきか―――そう思った瞬間、男がひときわ大きく震え、ベッドの上に赤黒いものを大量に吐き出した。
そしてべしゃり、と赤い塊の上に倒れこみ、動かなくなった。