第二話 いつものように


 「あー疲れた疲れたーおなかすいたー!」
 デブリスの宿につくと、さくらは木製の椅子に座り込んだ。宿の中は闇払う旗以外には二、三人程度しか着席しておらず、必然的に一番大きな丸テーブルを囲うように座る。
 もう時刻は夜だが、日が沈む前から罠や陣地取りなどの準備に明け暮れていたので、簡単な携帯食しか口にしていない為、闇払う旗は揃いも揃って空腹だった。「帰ってきたらたぶんたくさん食べるから」とシャマルが事前に予告していた為か、この時間にも関わらず宿のマスターは食事を用意してくれていたらしい。木製のテーブルの上には綺麗なテーブルクロスと、料理と酒、そしてさくらがリクエストした果実のジュースが並べられていた。
 「依頼はどうだったかい?」
 「うん、楽勝だった。自警団からの依頼だから報酬もちゃんとしているしね~!」
 出された料理を口いっぱいに頬張りながら、さくらはうんうんとうなずいた。この料理はデブリスの特産品で、薄い小麦粉の皮で野菜と白身魚の身を包んで揚げたものらしい。絡めるソースは甘辛い濃厚なソースで、淡白な魚の味とマッチしていた。
 まだ揚げたてのものを口に入れたレイヴンが顔をしかめていたので、クローが黙って冷たい水を差しだす。
 「しかし助かったよ、うちには常宿にしている冒険者はいないから」
 夕闇亭のマスターより少し若めの、踊る小人亭の主人はにこりと笑った。
 この踊る小人亭、昨今の冒険者の宿にしては珍しく常駐している冒険者がいないそうだ。だからこうして客人が来るとかなり手厚いもてなしをしてくれ、今回のような自警団からの正式依頼も受けることが出来た。
 と、いうのも。この辺鄙な村のデブリスより、大体の冒険者は隣のイングヒルに滞在したがるそうだ。
 なので、ここの村の人々は冒険者というものに慣れていない。闇払う旗が到着して間もない頃は、武器を携帯している不審者として見られたこともあった。
 「山賊には困っている人もいたからね」
 揚げ物のいい匂いをまとったまま、マスターはパンの入ったバスケットを持ってきた。片手には葡萄酒が握られている。
 「エールは……」
 「悪い、切らしてるんだ。この葡萄酒で我慢してくれ」
 クローが少し口を尖らしたが、結局『アルコールが入ってるなら何でもいい』くらいの神経だったので、濃い色の葡萄酒をジョッキに一気に注ぐ。それを見てシャマルが少しだけ眉をひそめた。
 「眠ぃのか腹減ってんのかわかんねぇな」
 そういいながらアルマはパンをとり、半分に千切る。ハーブが練り込まれているパン故、ふわりと香ばしい匂いが漂った。それに薄く切ったバターを塗っていく。
 「はは、確かに」
 そしてシャマルに切った半分を差し出した。シャマルもそれを当たり前のように受け取り、口に運ぶ。焼きたてのパンの、かりっとした外側とふんわりとした内側がうまく釣り合っていておいしい。……先ほど食べた携帯食より、断然。
 「……兄弟なのか?仲がいいな」
 パンを分けあっている様子を見て、マスターが声をかける。
 シャマルとアルマは少し顔を見合わせ後、「まぁ」と同時に声を出した。
 「双子なんだ、こっちが兄で、私が弟」
 「ん」
 律儀に紹介をするシャマルに対して、アルマは軽く片手を上げるだけだったので、マスターは「似てないな!」と笑った。それに釣られて他の仲間も笑う。こうしてこの二人を見て、「似ていない」という人は大概多いからだ。
 「仲は、まぁ良いほうなのか?こうして仕事も一緒にしているしなぁ」
 「さーあ?」
 綺麗に切られたオレンジを手に取って皮をむきながら、「他の兄弟がどうとかは知らねぇし」とアルマは言った。オレンジを食べた後、唇を噛んでいたので相当すっぱかったのだろう。シャマルはオレンジはやめて、隣のリンゴに手を伸ばした。
 「仲がいいのは良いことだ。俺にも姉がいたけど、仲違いしてしまってねぇ……。今じゃ、生きているかどうかもわからない」
 「それは、お気の毒に」
 兄弟が仲違いして消息もわからない。そんな話はよくあることだった。冒険者なんていう職業をやっていれば、なおさら。
 闇払う旗の中にも、兄弟はおろか両親の顔さえ知らないメンバーはいる。その中でも、まだ一緒にいる自分たちは幸せな方なのだろうと、シャマルは思った。
 「……ふぁああ……私はもう部屋に戻りますねぇ」
 リリィが「ごうちそうさまでした」と丁寧に手を合わせると、軽く伸びをして部屋に戻っていく。時計の針を見れば、かなり夜も更けてきていた。リリィに続いて、さくらやレイヴンも「ごうちそうさま」と手を合わせた。
 「この挨拶、すっかり定着したな」
 「だな」
 「ごうちそうさま」と「いただきます」はまだ闇払う旗が結成されてすぐの事、さくらが食前と食後に行っていた儀式だった。食事を始めていきなり何を言うのかと他のメンバーは面食らったが、それが作ってくれた人と食材への感謝の言葉だとわかると、闇払う旗ではすっかり「いただきます」と「ごちそうさま」が定着した。
 「私たちも部屋に戻るとするか……ごちそうさま。マスター、こんな夜にすまなかった」
 「そんな気にするなって。明日には、ここを発つんだろう?せっかちな冒険者さんたちだ」
 「ははは、四六時中強行軍だからな」
 じゃあおやすみ、とマスターに頭を下げると、アルマとシャマルは二階へあがっていった。

 「明日の予定、どうする?」
 「馬車が出るのが朝一らしい。叩き起こすしかねーだろ」
 シャマルの部屋で。アルマとシャマルは明日の予定について話し合っていた。
 リーダーと参謀という役職上からか、兄弟としての気の置けなさからか、こうして二人で仕事の予定を話し合うことは頻繁にあった。二人が決めたことに関して、他メンバーはだいたい従うが、稀に反発するときもある。……こうして、夜遅くまで仕事をした後に朝早く出る場合は特に。
 「この馬車を逃すと、次は夕方なんだよな……。できればこいつに乗っときたいぜ」
 「イングヒル発だと本数はあるんだけどなぁ、値段がなぁ……」
 かかるコストは最小限に抑えたい。デブリスから夕闇亭があるリューンまでは馬車で三日ほどだが、それでもそこそこの移動費はかかった。
 アルマはだいたいの費用をメモしながら、コストと皆の心境を考慮したのち、「明日の朝、強制起床コースだ」と結論を出した。
 「ところで」
 「あん?」
 俺達も早く寝なきゃな、と椅子から立ち上がったアルマに、シャマルはベッドに腰をかけたまま声をかけた。
 「今日はすまなかった」
 「まーだ気にしてんのか。別にシャマルは関係ねぇだろ」
 今日の、つまり神聖術で魔術を打ち消してしまったことを謝るシャマルに、アルマは肩をすくめた。
 「シャマルも知らねぇことだったし、しゃーねぇだろ。俺も勉強になったし」
 「……次からは注意するよ」
 「お互い、な」
 それにしても、とシャマルは続ける。
 「仲がいいってよく言われるけど、私はアルマの魔術のこと知らなかったし……アルマも私の神聖術について知らないこともあった。二十年以上一緒なのに、意外と知らないことは多いんだな」
 「ま、そだなー……」
 アルマは三つ編みをくるくると手で弄びながら、シャマルに向き合う。……ああ、今すごい眠いんだなとシャマルはわかった。夜の種族であるシャマルは、それほど眠気を感じてはいないが。
 「でも、別に全部知っておく必要なんてねぇよ。仲がいい、信頼してるイコール全部打ち明けるでもねーし」
 「……なんだその顔。私にばれたくないことでもあるのか?」
 少し真剣な顔をしていたので、少しだけ意地悪なことを言う。けれど、アルマは「俺にだって秘密の一つや二つあるぜ?」と口の端を釣り上げた。
 「一つや二つじゃなくて、百も千もあるだろ」
 「それは言いすぎだっての!……ほらもう俺は眠いんだ、寝る!」
 息をするように嘘を吐く参謀だが、この眠いというのは本気らしく、そう言うと「おやすみ~」と宣言してさっさと部屋を出て行ってしまった。
 ―――少しだけ、誤魔化された気もする。
 なんとなくそう思いながら、シャマルも寝巻に着替えてベッドに横になる。
 首にかけていた聖印を枕元に置くと、ランプの明かりを消した。
 (アルマの、知らないことか)
 シャマルにだって、アルマにだって、秘密はある。話したくないこと、話すほどでもないこと、たくさんある。きっとそれはさくらにだって、クローにだって。
 アルマの言う通り、信頼とはすべてを打ち明けることではない。そういった秘密を抱えながら、それでも「信じている」と言えるのが本当の信頼なのだ。
 ……明日は早い。もう寝てしまおうと、シャマルは目を閉じた。