「はぁッ…!はぁッ…!」
短い髪の少女は、暗い森の中を全力で走っていた。結んでいたであろうリボンは解けてしまったのか、片手に無造作に結び付けられている。彼女の走る道は、足元は木の根や草が生い茂っており、お世辞にも小さな少女が走り抜けるには優しいとは言い難い。
それでも少女は全速力で走った。暗闇の中に、必死に視線を巡らせながら。
「よぉ、お嬢ちゃん!どこへ行くってんだ!」
「―――!」
背後から発された野太い男の声。その方向から飛んできた矢じりを、少女は間一髪で躱して、倒れた木の下へ滑り込んだ。別の木の幹に突き刺さった凶器を確認する暇もなく、また走り出す。
そう、少女は追われていた。十人以上はいるかと思われる山賊たちに。
山賊たちにとってこの山は家のようなものだった。張り巡らされた罠、そびえたつ木々。逃げ回る少女は、いわゆる俎板の鯉といったところか。男たちは若い女を目の前にした興奮のせいか、舌なめずりをしながら次の矢を弓に番えた。
もし、この状況をプロが見たならば、圧倒的な違和感に首を傾げただろう。どこか『あり得ない』ことに気が付くだろう。
だが、幸か不幸か。男たちは自分たちの勝利を確信していたせいか―――あるいは、はなから勝負だと思っていなかったせいか―――その違和感に気づくことは無かった。
いくら少女が死に物狂いで走ったとて、わずかな月明かりしかない森を“一度も躓かずに”走り抜けるなど。
たとえまぐれであろうと、飛来してくる矢を避けられるなど。
そして、何よりも。張り巡らされた罠が、何ひとつ発動していないことなど
もし相手が大人の男ならば、山賊も怪しんだだろう。だが、相手はまだ二十にも満たぬ少女なのだ。
「……はぁ」
少し開けた場所、そこで不意に少女が足を止める。諦めたのだろうか、くるりと後ろを振り返り手を後ろに組んでいる。山賊どもは少女の様子を特に意に介することなく、弓矢を仕舞いナイフを取り出した。
じりじりと包囲の半径を狭めていく山賊を見て、少女は肩をすくめた。
「やーっぱり言ったじゃん。あたしみたいな小っちゃいほうがこーんなに釣れるって!」
「……はぁ?」
その態度は、その言動は、先ほどまで危機を感じて逃げ回っていた“兎”からは想像もつかないものだった。
刃をこれ見よがしにちらつかせているのにも関わらず、少女は灰色の眼を細めて笑う。
「はいはいおじさんたち!そんな怖い顔してたら、」
……女の子にもてないよ?
男たちは気が付いた。
自分たちが追いかけていたのは、兎ではないと。
けれど、それもすべて後の祭り。たん、と少女が軽く地面を足で蹴ると、暗闇では何がそこにあったのかはわからないが、バキバキと音を立てて森の中で何かが動いた。
「う、うぁああああ!?」
そして上がる野太い悲鳴。地面から枯葉を散らして現れるロープ。
「君たちが備えてた罠でしょ?それに自分たちが引っかかるなんて、だっさいよね~!」
吊るしロープの罠に誘い込み、山賊を文字通り一網打尽にした少女は、結局使わなかった愛用のナイフをくるくると指先で回した。
そんな不遜な態度に浴びせられる罵声に対して、闇払う旗の盗賊、さくらは「ひゅう」と口笛を吹いた。
「さくらの方は、うまくやっているようですね!」
さくらの声を聞いたリリィは、山賊の残党相手に槍を油断なく構えていた。
そう、闇払う旗は山賊退治の依頼を受けていた。はじめはリリィが囮になる作戦で、山賊を誘導しようということだったのだが、「あたしの方が機動力あるし!」というさくらの進言と、シャマルの判断で立場が変わった。
リリィの役割はさくらが仕掛けた罠から逃げた“おこぼれ”を潰すこと。アルマの予想通り、五人が逃げ出した。
「ロープの大きさと地形から人数をだいたい計算した、って言ってましたけど……ここまでくると予知能力あるんですかって言いたくなります」
人数まで言い当ててきた参謀に若干の気持ち悪さを感じながら、リリィは槍を握りなおした。山賊たちはめいめいにナイフや剣を持っており、リリィをいやらしい目で見ている。
「姉ちゃん、俺達が何なのかわかってんのか?」
「……」
……敵にこういう視線を向けられるのは初めてではない。最初の方こそ気分が悪くなったが、今はもう気にしていない。
気にしていない、というより……実力でわからせることが出来るようになったというべきか。
「情け無用。はぁああ!!」
気合の怒号と共に、背中を大きく槍を振りかぶる。大きなリーチと素早い軌道に一人の山賊が巻き込まれ、木に叩きつけられた。そのまま勢いを殺すことなく、背中を支点にして槍を体全体で回す。
女子が扱うには大きすぎる武器だが、リリィにとってはすでに手足のようなものだった。
「まだまだ!」
ナイフを突き出してきた者には、踏み込んで突きを繰り出す。そんなリリィの頭上から、何かが羽ばたく音がした。
「援護する」
端的な声色の後、リリィの周りに広がる漆黒の羽根。わずかな月光を受けてかろうじで形が見えるそれらは、まるで花びらのように宙を舞っていた。
が、それも数秒の事。山賊たちが動揺から我に返る前に、大量の羽根が生き物のように襲い掛かった。
通常の魔術とは違う、黒魔術と呼ばれる闇の術。
その使い手は。
「レイヴン!」
「……俺が助けるまでも……なさそうだったな」
降り立ったのは、黒魔術という恐ろしい術からは程遠そうな顔をした男だった。背中には大きな翼、眠そうな金色の眼は、暗闇でもよく見えるらしい。
「そんなことないですよ!助かりました!」
羽根が短剣のように突き刺さり苦しむ山賊たちをしり目に、リリィは律儀にレイヴンに頭を下げる。レイヴンは照れくさそうに頭を掻くと、黒い翼を広げてまた上空に飛び立った。
こういった森の中では上空からのほうが都合がいい。レイヴンはクローの持ち場であるエリアの方へ戻っていった。
……と、いうのも。
「リリィの方は大丈夫そうだ」
「わざわざ見に行ったのかよ」
「……仲間だし」
クローの元へ戻ったレイヴンは、すっかりと荒れ果ててしまった木々を見回した。罠だの魔術などしゃらくせぇ、と考えたクローが実行した作戦は、とにかくレイヴンに誘導させて自分が拳で全員打ち砕く、という筋肉で思考するようなものだった。本来ならばもっとスマートな考えがあったのだが、「まぁクローがそれでいいなら」というレイヴンの柔軟極まりない態度もあり、結果としてレイヴン&クローペアは修羅ともいえる戦闘を真っ先に終了させていた。
そして戦闘も終わりやることがなくなったレイヴンが、リリィやさくらの手伝いに行ってきた、というわけだった。
「怪我無いか?」
「ねぇよ」
「それは良かった」
クローは返り血が付いた剣を軽くぬぐった後、何度か肩を鳴らしてどうと座り込んだ。
「手伝いには」
「いいだろ、あいつらだぞ?やらせときゃいいんだよ」
くあ、と大きなあくびをするクロー。かなり仲間に対してぞんざいな態度ともいえるが、逆の意味では「自分が出なくても十分に強い二人」というのを密かに認めているからでもあった。
「……うん、そうだな」
そんなクローの素直でない気持ちにレイヴンは少し笑うと、クローの隣にちょこんと座った。
「くっそ!どうなってやがる!」
巨大な罠が作動した場所とは反対側、山賊たちは奇妙な黒い霧に逃げまどっていた。
通常の霧よりもっと温度の低いそれが肌に触れると、まるで凍りそうなほどだった。おまけにこんな晴れ上がった夜に黒い霧など、異常なことに違いなかった。
「くっそ、纏わりついてきやがる!おい!」
「……」
山賊の一人が険しい顔をした。彼だけは他の者たちと違い、どことなく聡明そうな顔で、剣ではなく杖を所持していた。
「……俺達ははめられた可能性が高い」
「はめられたって、何にだよ!?」
「さぁな」
そこまでいうと、彼は杖を口元に充てて何かを呟き始めた。仲間にしてみれば何を言っているのかはわからないが、知る人が聞けばわかっただろう。
それが死霊術の呪文であると。
「―――!」
ゆらり、と山賊たちを取り囲んでいた霧が揺れ、一か所に集まっていく。男たちは悲鳴を上げたが、死霊術師だけは冷静に見つめていた。
「……死霊術師がいるとはな」
集まった黒い影がだんだんと形どっていき、紅い両目が現れる。そして手、足、顔と照らされるようにして、人間の姿を成していく。
「やはり、吸血鬼か」
吸血鬼。夜の眷属。血を吸う鬼。
黒い霧の吸血鬼は、にやりと笑った。
「そうだ。ま、死霊術師ならわかるかもな」
そして、二歩だけ後ろに下がった。
変化は吸血鬼が動き終わった瞬間に起こった。
切り裂くような音を立てて、周辺の木々が曲がり始めたのだ。まるで見えない巨大な腕に力をかけられたかのように。
それだけではない。
山賊の体も、奇妙な『力』を受けてどんどん浮き上がっていっている。無様に手足をじたばたとさせているが、海に落とされた猿のごとく、その手は空を切るばかりだ。
そんな状況の中、冷静なのは二人のみ。
一人は吸血鬼と、もう一人はあの死霊術師だった。
吸血鬼の方は、おそらくこの異常事態に噛んでいるのであろう。黙って、しかし油断なくその一部始終を見ている。だが、死霊術師は。
「……見つけたぞ、術者!!」
「……!!」
そういって死霊術師が呪文を唱えるのと、吸血鬼が構えた手から紫の光を出すのはほぼ同時だった。
「依頼は達成、のはずなんだけどよ」
山賊をひとしきり退治し終わり、下山している途中。はぁ~とアルマはため息をついた。
今回受けた依頼は山賊退治の依頼。といっても、その山賊の数が膨大すぎる故に、闇払う旗は二人ペアに散らばって作戦を立てて捕縛する……という算段だった。
クローとレイヴン、さくらとリリィの二組は予定通りにやったらしい。けれど、アルマとシャマルペアに思わぬ事故があった。
山賊の中に混ざっていた死霊術師が、重力魔法を展開していたアルマに向かって魔法を放ったのだ。それはまずいと思ったシャマルが、その死霊術をかき消すために神聖術をアルマに向かって……すなわち同方向に向かって唱えた。
アルマはただの生者なので、神聖術をくらっても問題はない……はずだったのだが。
なぜかアルマの魔術がかき消され、展開していた重力魔法は消え、二人でそのまま戦うことになった。
結果、三ペアの中で一番時間をかけてしまった。
「ま、いいじゃんいいじゃん!結果オーライで全員退治できたんだし!」
一仕事終えたさくらはどこから取り出したのかわからないチョコレートを口に放り込みながら、シャマルの背中を叩いた。
「でも、なんで神聖術で魔術が消えたんでしょう?」
「ただのまぐれじゃねぇの」
適当なことを言うクローに、アルマは怒ったように咳ばらいをする。じろりと睨んだ眼には「行き当たりばったりで戦ったやつに何か言われる筋合いはない」という無言のメッセージがあったのだが、クローにすれがわかるはずもなかった。
「俺の魔術は完璧だった。けど、シャマルの神聖術がいけなかった」
「わ、私のせい?」
ちょっと眉を下げたシャマルに「いや、そこまでじゃねぇけど…」とアルマは言葉を濁す。
「シャマルの使う神聖術は魔術と相性最悪みたいでよ。さっきの感覚からすると、魔力を打ち消してきやがる。……行使した本人にはそんな気はなさそうだったので、性質的にな」
さくらやリリィ、クローが首を傾げている中、レイヴンはほうほうと頷き、シャマルは顎に手を当てて考え込んだ。
理解しているかしていないかはさておき、アルマは続ける。
「たぶん、お前が信じている神サマの性質なんじゃねぇの?聖北の神聖術でそんな特徴あるって聞いたことねぇしな」
「うーむ」
よくわからないが確かにそうかもしれない、とシャマルはなんとなく納得することにした。
アルマと一緒に生きて二十年近くたっているが、こんな新事実があるとは。双子だから使う術の相性も良い……なんてことはないようだった。
「よくわからないこともあるもんだな」
「シャマルさんとアルマさんて肝心なとこで仲悪いね」
「るせぇ」
そんな軽口を言っているうちに、暗い空にさらに黒い影が見え始めた。
この夜でもわかるランドマーク、あれが『デブリスの時計塔』だった。
現在、闇払う旗はデブリスという小さな村に泊っている。と言っても、この依頼はデブリスで受けた依頼ではない。その隣の、イングヒルという街で受けた依頼なのだ。
このデブリスとイングヒルはほぼ隣に位置しており、そこそこ大きな街のイングヒルより、村であるデブリスの方が宿泊費は段違いに安い。その理由は不明だが、泊まる場所など安いほうがいいと考えた闇払う旗は、デブリスに泊ってイングヒルでの依頼を受けるとしたのだ。
そのデブリスの目印が、デブリスの時計塔だった。この時計塔の一番の特徴は、『時計がない』ことだった。
なんでも、イングヒルで革命が起きた際に、時計部分が壊されてしまったらしい。今では、その文字盤の痕跡を残すばかりで、ただの塔がそびえている。
「さーて。山賊たちはもうイングヒルの自警団に連絡したし、はやく宿に帰るか」
隣でリリィが大きなあくびをしているのを見て、シャマルは宿へ続く道を歩いて行った。